勉強を「自分ごと」として取り戻すためにできること
■低学年のお子さんは「ちょっと手抜き」くらいでちょうどいい
東京渋谷、大阪梅田などで定期的に、少人数の相談会を行っています。
東京渋谷、大阪梅田などで定期的に、少人数の相談会を行っています。
主任相談員を務めさせていただいている、中学受験ポータルサイト「中学受験情報局 かしこい塾の使い方」と家庭教師「名門指導会」の共催という形です。
参加くださるのは高学年にのお子さんのお母さんが多いのですが、中にはお子さんがまだ低学年というご家庭もあります。
低学年なのにすでに「塾の宿題が大変で…」というご相談も悩ましいのですが、それ以前に「この学年で、塾のことにどれくらい『必死』になればいいのでしょう」というご相談もあります。
乱暴な言い方をすれば、3年生までは塾に通わせているとしても、宿題は「ちょっと手抜き」くらいに考えていて丁度いいのですが、そのあたりは生真面目なお母さんほど「ちゃんと、完璧にやらせなくちゃいけないんじゃ…」と心配になってしまうようです。
私はおもに理数系の科目に関してご相談を受けるのですが、少なくとも4年生くらいまでは意識的に「塾の宿題一色」の生活にしてあげてほしくないを思います。
・・・正直なところ、高学年になってもそうであってほしいのですが、さすがに6年生の受験間近の時期ともなるとそうはいきませんね。
だからこそ、低学年のうちは「必死で塾の宿題を追いかけなくても結果が出せる」学習サイクルをつくってほしいと考えています。
そんなお話をすると、多くのお母さん、お父さんは「やっぱりそうですよねぇ。」とおっしゃるのですが、いざ毎週の宿題を目の前にすると、どうやって「手抜き」をすればいいのか迷ってしまうようです。
■「無駄な繰り返し」をなくす
■「無駄な繰り返し」をなくす
「手抜き」というと聞こえが悪いのですが、単純に「無駄な繰り返しはしない」と意識するだけでも良いと思います。
もうお子さんが完全に「できる」と判断できる問題についても、一通り「2回目の演習」をさせているご家庭は意外と多いのです。
理由は簡単で、「他に何をさせていいかわからない」からだといいます。
塾から与えられれいるのはテキストのみで、ほかにどんなことをさせればいいかもわからないので、とりあえず塾の宿題を繰り返させる、そんなご家庭も多いのです。
でも、もうすでに理解できていて習得しているのなら、それ以上の繰り返しにはあまり意味がありません。
その時間に、もうちょっと楽しくて、親子で手軽にできる勉強をしてみませんか?
そう思うのです。
たとえば理科なら、テストに出てきたことがらや生物名の中で「知らないもの」はないでしょうか?
また知っているつもりでも、詳しく説明できるかと言われれば、そうでもない・・・そんな事柄はないですか?
そんな「今後テストに出るかも、出ないかもしれないけど、とりあえず知らなかった」ものについて調べてみるのです。
「そんなの調べたって、テストに出なければ意味ないんじゃ…」
そんな気持ちは一旦気持ちの端っこに、いや外側に追いやってしまって、とにかく「へ〜、そうだったんだ」という経験をお子さんとともにしてみましょう。
そうすると、調べれば調べるほど、次から次へと疑問が出てくるかもしれません。
それをまた延々と調べていく…
算数なら、とにかく素数を数えだしてみる、といった経験もいいと思います。
そんな経験をお子さんと一緒にすることで「勉強というのは、与えられたものだけを『こなす』ものではないんだ」ということをお子さんは実感すると思います。
■高学年になっても「塾に振り回される」ことがないように
■高学年になっても「塾に振り回される」ことがないように
この気持ち、感覚こそ、高学年になっても「塾に振り回される」ことなく結果の出る勉強ができる大元になっていきます。
高学年のお子さんの親御さんから「うちの子、勉強に取り組むのがイヤイヤで、困っています」といったご相談を受けることもありますが、それは「やらされている」という感覚をお子さんが強く持っているからです。
大人だってそうですが、強制的にやらされていると感じることに対して、モチベーションは上がりません。
いかに「自分ごと」として取り組めるかが鍵なんですが、それには義務感や強制力に訴えてもうまくいきません。
もしも今「やらされ感」一杯で勉強しているな、と感じるなら、少し勉強のしかた、勉強に対する視点を変えて取り組んでみましょう。
2019年10月24日、コスモプラネタリウム渋谷「中学受験で遊ぼう!」にて、子どもたち、親御さんたちと記念写真。
月の満ち欠けを「授業」ではなくみんなで「体験」したのでした。
2019年10月24日、コスモプラネタリウム渋谷「中学受験で遊ぼう!」にて、子どもたち、親御さんたちと記念写真。
月の満ち欠けを「授業」ではなくみんなで「体験」したのでした。