受験国語に「自分なりの考え」は必要ない
こんにちは! 小川大介です。
国語が苦手なお子さんを持つ親御さんによくこんなことを聞かれます。
「うちの子、主人公の気持ちがわからないんです・・・・・・。
本を読まないから共感力が育たないのでしょうね・・・・・・。
そういう子はやはり国語の成績が伸びにくいのでしょうか?」
「読書好きなら国語が得意」と思い込んでいる親御さんは少なくありません。
確かに、本を読むことで語彙力や表現力が高まり、
長い文章を読むことに対する「抵抗感」がなくなるという強みはあります。
だからといって、受験国語の問題が解けるかは別問題。
中学入試にはよく「主人公の気持ちはどんなものですか?」
「なぜ主人公はこう感じたのですか?」という問題が出ます。
こうした問題に対応するには、
やはり「共感力」が必要なのではないかと思うかもしれませんね。
しかし、ここで必要なのは、実は「共感力」ではなく「知識」なのです。
受験国語では、読み取りの能力、記述表現の力を求められます。
そうする理由の一つは、中学に入学した後に授業についていけるか、
学習課題を乗り越えていく力があるかどうかを確かめるためです。
特に進学校の場合、文章理解力や論理的思考力が一定水準以上でないと
授業が理解できませんから、試されるのは当然といえば当然。
ですが、入試で文章読解力と記述表現力が求められるには、
もっと大きな理由があります。
それは、入試とは入学者の「選抜」試験だという点です。
選抜をするためには、最終的に点数をつけなければなりません。
そして、点数をつけるには、試験内容が客観的でなければなりません。
誰が見ても、なるほどその通りだと納得できる結果にしなければならないのです。
では、どうすれば試験内容を客観的にできるのか?
それは、「設問をつくる」ことです。
文章を読んで考えたり、感じたりすることは人それぞれです。
同じ本を読んでも、読み手によって感動したり、ピンと来なかったりします。
なぜなら読み手は、
著者が語っていることを自分の経験や価値観と照らし合わせながら読むからです。
読み手の個性によって読み取る内容は違ってきます。
しかし、与えられた設問に答えるために読む時は、読み手の個性は必要ありません。
設問が文章の読み方を固定するからです。
「○○について著者はどう考えていますか? 説明しなさい」という設問であれば、
○○について著者が考えを述べている部分を順に読んでいき、
書かれていることをまとめます。そこに読み手の個性は求められません。
「この場面での主人公の気持ちを説明しなさい」という設問なら、
「この場面」はいつ、どこで、誰がいて、何が、なぜ起きたのかを確認した上で、
主人公の様子や行動がどのような気持ちから生まれるはずなのかを推測します。
このときに気をつけなければいけないのが、
「もし自分が同じ立場だったらどう思うか」という推測をしないことです。
なぜなら、それでは答えの方向性が定まらず、入学者を「選抜」できないからです。
では、正しい答えは?
ここで求められるのは、
文章に描かれている人物の今の状況でどのような気持ちを持つはずなのか、
一般常識に従って判断することです。
人の気持ちはそれぞれですから、本来、答えは一つではありません。
でも、受験国語のように設問がある場合は、
「文章中の情報から」「一般常識に従って判断する」のですから、
答えを決めることができます。でなければ、選抜試験にはなりませんよね。
「受験国語は設問があることで成り立っている」と理解できれば、
受験に必要な「国語力」が何かは明確になります。
受験国語に必要な力は次の3つです。
① 設問に答えられるように文章を読み取る力
② 設問に答えるだけの言葉の力
③ 設問を理解する力
つまり、中学入試の国語で求められるものは、
情報整理能力や問題解決力などで、読書量の多さはさほど重要ではないのです。
読書が役に立たないと言っているわけではありません。
文章を読んで、そこから映像を想像する力は国語に限らず、
算数や理科、社会でも求められる力です。
ですが、中学受験で国語を得意にするには、
受験国語が求める力を伸ばしていかなければ、
成績を上げていくのは難しいということを知っておいてほしいと思います。
受験国語の伸ばし方については、詳しくはこちらの本をご参考ください。
『塾でも教えてくれない中学受験 国語のツボ』(青春出版社)